教養とは何か

「社会人として教養が必要だ」
「大学で教養を学ぶ」
「あの人には教養があって素敵だ」

 

ネットの記事や本屋などで教養という言葉をよく見かけますよね。

 

当ブログでも、『ぷち教養主義』という名前の通り、教養というものを大切なものとして扱っています。

 

教養とは一体何なのでしょうか?

 

この記事では、「教養」とは一体何なのかについて説明したいと思います。

 

 

教養とは何か 教養の意味とは

教養とは何か

 

私にとって、教養とは

「人生をより豊かにし、物事を正しく捉えるために必要な知識・価値観」

です。

なぜ「私にとって」なのかというと、教養の定義は厳密に決まっておらず、時代や人によって異なるものであるからです。

 

単純に「幅広い知識」のことを教養であると言う人もいれば、

学校(大学)で習うようなものや、自由七科(文法学・修辞学・論理学・算術・幾何学・天文学・音楽のこと)」が教養であると主張する人もいますし、

「教養とは人としての魅力を高めるものである」という考えもあるでしょう。

 

教養の定義は人によって様々存在していますが、教養とは「人生をより豊かにし、物事を正しく捉えるために必要な知識・価値観」だと思っています。

ネットで使われている教養の定義のほとんどは、上記の3つのうちのどれかであることが多いですね。

教養は人生を豊かにする

「豊かな人生」とは、「経済力」「自己実現」「知識や経験」「より良い人間関係」「趣味を楽しめる心と時間の余裕」などの様々な要素によって構成されています。

 

知識や経験が豊富な人ほど、より良い人生を送ることが可能になる人格を得ることができるため、そのような人格を得るために教養が必要となります。

 

例えば星空についての知識を持っていると、夜空を見るときに様々な星を見分けることができます。

同じ夜空であっても、星空についての知識を持っている人の方が多くの情報を手に入れることができるため、星空についての知識がない人よりも豊かな価値観を持つ可能性が高くなります。

星空だけでは大きな差が生まれませんが、このような小さなことが数多く集まると、大きな価値観の差が生まれます。

 

私は乙女座の生まれなので、スピカが見えると必ず目に入りますし、木星の見える日はいつも木星を見てしまいます。

同様に、満月を見つけるのは簡単ですが、新月を見つける(月が出ていないことに気づく)のは難しいです。

このような、得られる情報に差が生じ価値観が変わる可能性のある知識が教養です。

「〇〇を知らないから教養がない」というわけではない

星空についてを例に出しましたが、例えが星空でなかったとしても〇〇を知らないから教養がないということではありません。

 

「様々な国の歴史に詳しく」「幅広い音楽の知識や理論を理解し」「何か国もの言語を扱える」人が星空について知らないだけで教養がないだなんて言わないですよね。

 

特定のものを知らないからといって、教養がないというわけではないということです。

 

人によって教養の定義は異なりますが、教養の中身も人によって違うのです。

物事を正しく捉えるためには教養が必要

世の中には正しくない情報がたくさんあります。

「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」

という名言もあるように、様々な情報を正しく捉えるためには教養が必要になります。

 

 

一見会話が成り立っているように見えても、人と人との会話は必ずしも成立しているとは限りません。

 

私たちは会話やニュース等において、何かを説明するときに共通理解・一般常識を省いて説明をします。

簡単な内容であれば省略する内容も簡単なのですが、難しいことについて説明するときは省略する内容も難しくなっていき、説明を聞いてもうまく理解できなくなってしまうのです。

 

もし「特殊相対性理論」について説明をするとき、
そこそこ簡単な説明であっても「相対速度について」「等速直線運動と加速度運動の違い」「エネルギーと質量の関係」辺りの知識は持っていることを前提に説明すると思います。

他の分野でも同じことが言えます。

音楽理論の説明は「楽譜の読み方」を知っていること前提ですし、イプシロンデルタ論法の説明には「関数・極限の基礎知識」が必要です。

 

また、ネット上には数多くのフェイクニュースや不確かな情報が存在しており、知識・経験の全くない人はフェイクニュースかどうかを見極めることができません。

 

 

教養は物事を正しくとらえることを助けてくれます。
教養があれば、自分の立場を正しく理解し、自分の人生の目標を定め、正しく行動することができます。

 

物事を正しく捉え、理解し、行動するために教養が必要なのです。

 

教養=知識 ではない

ここで勘違いしてはいけないのは、「教養=知識」ではないということです。

知識はあくまでも道具・手段であって、目的ではありません。

知識を増やすことが大切なのではなく、知識を得てどうなるかの部分が大切です。

 

なぜ教養が必要なのか

一人ひとり考える必要がある

ではなぜ、今の時代に教養が必要と言われているのでしょうか?

その理由は、現在の日本は民主主義社会であり、一人ひとり自分なりの正しい考えを持つ必要があるからです。

社会は毎日のように変化しています。
人生の在り方は決まっていないため、様々な情報から正しいと思うことを判断し、自ら行動する必要があります。

現在、日本をはじめとした社会の中では、様々な情報から正しい情報を取り出す力や、物事を多角的な視点から考える力、自分の経験だけではなく客観的な事実や統計から判断する力を持った人材が求められ、評価されています。

このような力を持つためには、教養が必要だと言えるでしょう。

 

不安や悩みを解決することができる

やりたいことが分からない、どうすればいいか分からない、なんか人生がつまらない。
漠然とした不安や不満を抱えている人、人生について悩んでいる人は多いと思います。


こういう考えを持っている人にこそ教養が必要です。

先ほど説明したように、教養があると物事を正しく捉え、より良い判断をすることができます。

人生相談をする相手はどんな人ですか?

「教師」「親」「専門家」「知識人」「友達」

相談相手に選ぶ人は、自分より知識や経験が豊かな人か、自分とは違う考えを持っていそうな人ですよね。

自分より教養のある人は、自分にはない答えを持っていることが多いです。

つまり、教養を得ることは、やりたいことを見つけたり人生を楽しくしたりすることに繋がるということなのです。

自分の中で答えが見つからないときは、教養を得ることで自分が持っていなかったところから答えを探すのも一つの手ですね。

 

本当の教養とは

「好きなことを学ぶ」こと

教養という言葉が胡散臭いと思われているのか分かりませんが、本当の教養とは何かについて説明している本もよく見かけます。

これは、本当の教養が存在すると思う人が多いということは、嘘の教養も存在すると思う人が多いということですね。

例えば
「ワインの知識を正しく知ることが大人としての教養だ」
という主張があるとしましょう。

広い目線で見れば、ワインの知識を正しく知ることは間違いなく教養であると言えます。

狭い目線で見ても、ワインの知識を正しく知ることで、ワインをより楽しむことができ、共通の知識を持っている人と楽しく話すことができますし、ワインに関する嘘を見抜くことが簡単になります。

人生を豊かにし、物事を正しく捉えることができるので、まさに教養でしょう。

しかし、お酒が飲めない、もしくは、ワインに興味がない人たちにとって「教養を得るためにワインの知識を学ぶ」ことはとてもつまらないものになってしまいます。

興味のないことを無理に学ぶのではなく、自分が楽しいと思ったものを深めることが大切です。
僕の書いた記事を「教養だから」といって全て読む必要はありません。
自分の好きなもの、興味のあるものだけを読み、学ぶことが本当の教養であるといえるでしょう。

本当の教養は「人格的か非人格的か」の違い

教養については上で説明をしましたが、教養の定義を大きく2つに分けると「人格的」か「非人格的」かの2つに分けることができます。

「人格的」な教養とは、「人間の生き方や、その過程が大切」というような、教養は人格形成に関わるぞ、という考えであり、

「非人格的」な教養とは、「幅広い知識、大学で学ぶこと(リベラルアーツ)」のような、教養とは単に豊富な知識のことであるという考えです。

 

面白いことに、この2つの考え方は対立しており、お互いのことを否定しています。

どういうことかと言うと、
「人格的」な教養を大切に考えている人は、「本当の教養とは人間の生き方や考え方を深めることだ」と主張し、

「非人格的」な教養を大切に考えている人は、「本当の教養とは幅広い知識と自分の専門知識を持つことだ」と主張しているのです。

教養の定義でいうと、どちらの考えも存在しているとすることが良いと思うのですが、難しいところですね。

とどのつまり、「本当の教養」というものは勝手にそう主張しているだけのものということです。

この記事の教養とはの説明を見れば分かると思いますが、僕の主張する教養とは「人格的」なものである方の教養と言えますね。

どうすれば教養が身に付くのか

教養の意味に関して様々な主張があることは分かりましたが、どうやって教養を身につければよいのでしょうか?

日々の積み重ね

教養を得るためには長い時間が必要です。

教養は今すぐに得られるものではないため、日々積み重ねていかなくてはいけません。

そもそも、様々な知識について学べば学ぶほど、「自分には教養がない」と謙虚になっていくものであるため、一生の時間をかけて積み重ねていくものであると思います。

例えばですが、一日一つ、何でもいいのでこのブログの記事を読んでみてください。その繰り返しで確実に教養が身につきます。

こう書くと自分のブログの宣伝みたいになってしまいますが、別に私の書いた記事でなくても構いません。
毎日少しずつ本を読んだり勉強したりしましょう。それが教養を身に付ける確実な道です。

本物に触れる

今はインターネットがあるので、本だけではなくインターネットから教養を身に着けることができます。

しかし、いくら世界遺産の勉強をしたり、音楽や美術について学んだりしても、実際に体験することには敵いません。

「カナダの夏は乾燥していて、リップクリームが欲しくなるよ」
知識として知っていても、実際に肌で感じることでより実感します。

「ミュシャのスラヴ叙事詩は8×6メートルで大きいよ」
実際に間近で見ると、その想像以上の大きさに圧倒されます。

本物に触れてみてください。
経験に勝る学びなどないのですから。

 

 

 

以上で教養についての説明とさせていただきます。

もし興味があれば、このブログにある記事を読み、一緒に教養を高めましょう。

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