「教師にとって一番大切なものは何か?」
教師であれば絶対に何度も聞いたことがある質問です。聞き飽きたまであります。
- 「教師にとって一番大切なのは授業だよ」
- 「お互いを尊重することです」
- 「生徒をきちんと見守ることです」
- 「情熱が一番大事だ」
- 「公平性、生徒に平等に接することが大切だ」
この質問の答えは千差万別、教師の数だけ答えがあると言っても過言ではありません。
しかし、どの答えも全部胡散臭いというか、現実が見えてないというか、教師特有の独りよがりな世迷言に聞こえてしまうのは私だけでしょうか。
言い過ぎました。
ただ、「少なくとも主観的なもので、客観性に乏しい。どの時代・どの国でも同じように言えるものではない」のではないでしょうか。
つまり、「教師にとって一番大切なものは何か?」ではなく、「あなたの今いる環境だと一番大切に思うことは何か?」になっているのです。要はただの感想です。
今回は、「教師にとって一番大切なことは何か?」の答えとして、どの時代・どの国でも通用するものを考えてきたので、書き記していこうと思います。
そもそも仕事とは「価値を使って利益を与える」もの
そもそも、仕事とは「価値を使って利益を与える」ものと考えることができます。
美容師の仕事はお客様の髪をカットすること、カットの技術が美容師の価値
医者の仕事は病気や怪我を治すこと、治すことのできる能力が医者の価値
料理人の仕事は料理をすること、料理の美味しさが料理人の価値
人は皆「価値」を持っており、「価値」を活かして他人に利益を与えることが仕事なのではないでしょうか。
自分の持っている価値を人に与えることで、お金をもらうことができるのです。
仕事以外にも、子供の笑顔に価値があり癒されますし、おばあちゃんの暖かい優しさにも価値があります。
人間、人それぞれ何かしらの良いものを持っているのです。
付加価値とは
付加価値とはビジネスで使う単語で、労働によって付け足された価値を数値化したものになります。
めっちゃ簡単に言うと、材料費3万円のものを加工して10万円で売ったら、付加価値は7万円です。
リンゴ → 加工する(付加価値を与える) → ジャム
ステンレス、チタン等 → 加工する(付加価値を与える) → 腕時計
同じ種類の商品でも、プラスアルファで特別な価値を与え、他の商品と差を付けることがビジネスで大事なことであり、企業の力となります。
付加価値の増やし方は色々ありますが、付加価値で大切なのは「機能」と「ブランド力」の2つだと私は考えています。
例えば、同じテレビでも多機能のテレビの方が魅力的で価値が高いですし、原価数千円の腕時計を何百万円で売ることができるのは企業の持つブランド力が付加価値として魅力的だからだと思います。
教師による差と価値
さて、教師に一番大切なことは”付加価値を与えられるかどうか”であると私は提案します。
同じような40人の生徒の集団がいたとする
生徒は年齢と共に自ずと成長するが、教師の授業や関り方でより成長する可能性がある
生徒により良い価値(学力、技術、人生観など)を与えられるかどうかが教師の価値
つまり、教師に一番大切なことは、”付加価値を与えられるかどうか”
どうでしょうか。
いつどの場所・どの時代でも通用するような考え方だと思いませんか。
医者に求められるのが治療する能力、美容師に求められるのがカットの技術であるように、世界が教師に求めているものは教育する能力です。
理科の教師であれば、より分かりやすく深い理科の知識を教えられる教員の方が価値があるでしょう。
教師の付加価値能力を測る方法はあるのか
ビジネスで付加価値を計算するのは簡単です。材料費も売上も人件費も全て数値があるため、四則演算をするだけで求めることができます。
しかし、生徒児童の価値を数値化するのかも難しいですし、教員の付加価値能力を数値化するのも非常に難しいです。
とりあえず、生徒児童の価値は「認知能力」と「非認知能力」であると考えて良いでしょう。
「認知能力」…学力など
「非認知能力」…意欲、コミュ力、共感する力、忍耐力、計画性など
「認知能力」と「非認知能力」をなんとか数値化し、地域や環境による影響を排除したものに集団による差異を考慮したものが「教員の付加価値能力」として考えれば良いんですかね。
探してみたところ、先行研究はいくつかあるようですが、かなり限定的な範囲に収まっており、まだまだ研究の余地がある分野であるなと感じました。頑張れ研究者。
教員付加価値から見た教員の役割について―日本の小学生を例にして
今のところ、クリティカルで分かりやすい測定方法は無いと考えて間違いなさそうです。
まとめ
「教師にとって一番大切なものは何か?」の答えは教員によって様々ですが、私は捻くれているのでどれも嘘っぽくしか見えません。
教師の価値は教育することにあるため、”付加価値を与えられるかどうか”がいつどの時代・どの国でも通用する考え方なのではないでしょうか。
ただし、付加価値を与えられるかどうかを測定する術は今のところありませんし、とても感覚的なものであるため評価をすることはできません。