かいしー読書部では、私が読んだ本を紹介していきます!
今回紹介するのは『人を動かす』です。
Amazon Primeに加入している人はまず読んでみてください。1、2日あれば読める量です。
『人を動かす』|要約・著者紹介
要約
あらゆる自己啓発書の原点となったデール・カーネギー不朽の名著。
人が生きていく上で身につけるべき人間関係の原則を、
長年にわたり丹念に集めた実話と、実践で磨き上げた事例を交え説得力豊かに説き起こす。
深い人間洞察とヒューマニズムを根底に据え、
人に好かれて人の心を突き動かすための行動と自己変革を促す感動の書。
1936年の初版刊行以来、時代に合わなくなった部分を改良するなど、
折々に改訂が施されてきた現行の公式版。
『人を動かす』はコミュニケーションの基礎・人との関わり方・人から愛される方法・人を説得して動かす方法が書かれている名著です。
目次が要約そのものなので、目次を見ればどういう内容か分かります。
【PART1 人を動かす三原則】
- 盗人にも五分の理を認める
- 重要感を持たせる
- 人の立場に身を置く
【PART2 人に好かれる六原則】
- 誠実な関心を寄せる
- 笑顔を忘れない
- 名前を覚える
- 聞き手にまわる
- 関心のありかを見抜く
- 心からほめる
【PART3 人を説得する十二原則】
- 議論を避ける
- 誤りを指摘しない
- 誤りを認める
- 穏やかに話す
- 〝イエス〟と答えられる問題を選ぶ
- しゃべらせる
- 思いつかせる
- 人の身になる
- 同情を寄せる
- 美しい心情に呼びかける
- 演出を考える
- 対抗意識を刺激する
【PART4 人を変える九原則】
- まずほめる
- 遠まわしに注意を与える
- 自分の過ちを話す
- 命令をしない
- 顔をつぶさない
- わずかなことでもほめる
- 期待をかける
- 激励する
- 喜んで協力させる
この目次の通りの内容が書かれています。
著者紹介
1888年、米国ミズーリ州の農家に生まれ、大学卒業後、雑誌記者、俳優、
セールスパーソンなど雑多な職業を経て、弁論術や成人教育の講師となり、
人間関係の先覚者として名をなす。
不朽の名著『人を動かす』『道は開ける』など多数の著作がある。
『父は忘れる』
『父は忘れる』という感動的な文章が『人を動かす』の中で紹介されています。
一番最初、「盗人にも五分の理を認める」に掲載されていますね。
『父は忘れる』 リヴィングストン・ラーネッド
坊や、きいておくれ。お前は小さな手に頬をのせ、汗ばんだ額に金髪の巻き毛をくっつけて、安らかに眠っているね。
お父さんは、ひとりで、こっそりお前の部屋にやってきた。
今しがたまで、お父さんは書斎で新聞を読んでいたが、急に、息苦しい悔恨の念にせまられた。罪の意識にさいなまれてお前のそばへやってきたのだ。お父さんは考えた。これまでわたしはお前にずいぶんつらく当たっていたのだ。
お前が学校へ行く支度をしている最中に、タオルで顔をちょっとなでただけだといって、叱った。靴を磨かないからといって、叱りつけた。また、持ち物を床の上に放り投げたといっては、どなりつけた。今朝も食事中に小言を言った。食物をこぼすとか、丸呑みにするとか、テーブルに肘をつくとか、パンにバターをつけすぎるとかいって、叱りつけた。
それから、お前は遊びに出かけるし、お父さんは停車場へ行くので、一緒に家を出たが、別れるとき、おまえは振り返って手を振りながら、「お父さん、行っていらっしゃい!」といった。すると、お父さんは、顔をしかめて、「胸を張りなさい!」といった。同じようなことがまた夕方に繰り返された。
わたしは帰ってくると、お前は地面に膝をついて、ビー玉で遊んでいた。
長靴下は膝のところが穴だらけになっていた。お父さんはお前を家へ追いかえし、友達の前で恥をかかせた。
「靴下は高いのだ。お前が自分で金をもうけて買うんだったら、もっと大切にするはずだ!」
-これが、お父さんの口から出た言葉だから、われながら情けない!それから夜になってお父さんが書斎で新聞を読んでいる時、お前は、悲しげな目つきをして、おずおずと部屋に入ってきたね。
うるさそうにわたしが目をあげると、お前は、入口のところで、ためらった。
「何の用だ」とわたしがどなると、お前は何もいわずに、さっとわたしのそばに駆け寄ってきた。
両の手をわたしの首に巻きつけて、わたしに接吻した。
お前の小さな両腕には、神さまがうえつけてくださった愛情がこもっていた。
どんなにないがしろにされても、決して枯れることのない愛情だ。
やがて、お前は、ばたばたと足音をたてて、二階の部屋へ行ってしまった。ところが、坊や、そのすぐ後で、お父さんは突然なんともいえない不安におそわれ、手にしていた新聞を思わず取り落としたのだ。
何という習慣に、お父さんは、取りつかれていたのだろう!
叱ってばかりいる習慣-まだほんの子供にすぎないお前に、お父さんは何ということをしてきたのだろう!
決してお前を愛していないわけではない。お父さんは、まだ年端もゆかないお前に、無理なことを期待しすぎていたのだ。お前を大人と同列に考えていたのだ。お前の中には、善良な、立派な、真実なものがいっぱいある。
お前の優しい心根は、ちょうど、山の向こうからひろがってくるあけぼのを見るようだ。
お前がこのお父さんにとびつき、お休みの接吻をした時、そのことが、お父さんにははっきりわかった。ほかのことは問題ではない。
お父さんは、お前に詫びたくて、こうしてひざまずいているのだ。お父さんとしては、これが、せめてものつぐないだ。
昼間にこういうことを話しても、お前にはわかるまい。だが、明日からは、きっと、よいお父さんになってみせる。
お前と仲よしになって、一緒に遊んだり悲しんだりしよう。小言を言いたくなったら舌をかもう。そして、お前が子供だということを常に忘れないようにしよう。お父さんはお前を一人前の人間とみなしていたようだ。こうして、あどけない寝顔を見ていると、やはりお前はまだ赤ちゃんだ。
昨日も、お母さんに抱っこされて、肩にもたれかかっていたではないか。お父さんの注文が多すぎたのだ。
これを読んで感動する人が多いそうです。良い文章だと思うらしい。
二日後にはもう怒鳴ってそう…
感動するかはともかく、相手を動かすためには論理や正しさではなく、相手を尊重する姿勢が大切だということ。
人を非難するのではなく相手を理解しよう。うん。大切で重要で基本的な考え方だ。
人を動かす方法とは
「相手の気持ちになって考えよう」
私は高校生の頃、この言葉を馬鹿にしていました。
と思っていたのです。(実際、人の気持ちなんて分からないのは事実ですが、、、)
大切なのは相手の気持ちを理解することではなく、相手の気持ちを理解しようと努力することである。そんな簡単なことに気が付かないせいで遠回りな人生を送ってきたような気がします。
時間はかかりましたが、僕はたまたま自分で気が付けたのでまだ良い方です。
しかし、世の中には「相手の気持ちを理解しようと努力することの大切さ」にまだ気付いていない人がたくさんいます。
『人を動かす』を読むことは、相手の気持ちを大切にすることの重要さを教えてくれる最高の方法になるでしょう。
例えば、私は風邪を引いたときによく寿司を食べます。なぜなら、寿司はこの世で最も尊い食べ物であり、どんなに体調が悪くても美味しく食べれるからです。
寿司はこんなにも美味しいのだから、体調が悪くても美味しく食べられる。これは世界の常識であり真理です。
全人類、風邪をひいたら寿司を食べると良いでしょう。
しかし、風邪をひいた友人に寿司をすすめても拒否してきます。なぜでしょう?寿司は風邪をひいてても美味しいのに…。
私は風邪を引いたときに寿司を食べます。しかし、友人は風邪のときに寿司は食べたくない。なら寿司を渡すのは止めよう。
相手の気持ちになって考えるとは、そういうことです。
めっちゃ分かりやすくいうと、釣りをするときは魚の気持ちを考えて寿司ではなくミミズを餌にしましょうということですね(笑)
結局、自分の意見を通すため、人を思い通り操るためにはどうすればよいでしょうか?
その答えは、「相手の気持ちを受け入れ、相手を肯定しながら会話をする」ことだと私は思います。
例えば、「喧嘩をしたのはアイツが原因だ。俺は悪くない。」と主張している人がいたとして、論理的に「あなたの間違っている部分はコレ。原因はコレ。従ってあなたの意見は違います。」と言っても受け入れることはありません。
相手の間違いを指摘して議論で相手を論破したとしても、相手の気持ちは変わりません。むしろ、反発心が増すだけで逆効果です。
「絶対にアイツの言うことは聞かない」と思われるだけでしょう。
人は、正しいことよりも「自分の気持ち」を優先します。間違っていたとしてもそれを認めず、自分の心を守るために意地を張り、反発します。
論破をする、相手を言い負かすことはスカッとして気持ちのいい行為かもしれませんが、そこから有益なものは何も生まれません。言い負かしたとしても、相手がそれを受け入れることはないでしょう。(むしろ、今後の人間関係が悪くなるだけでしょう。)
じゃあどうすればいいのか、その答えは簡単で、相手の間違いを指摘せず相手を肯定したりよく話を聞いてあげたりすれば良いのです。
喧嘩に関する主張を認め、同情し、よく話を聞きましょう。
あなたは悪くないと心から言いましょう。
落ち着いた後に(数日後とかに)、「じゃあどうすれば喧嘩を回避できたんだろう?」と聞いてみましょう。
きっと、自分にも非があると認めることでしょう。
理屈通りには動く人は稀です。大半の人は理屈以外の理由で動いています。
理屈通りに動かない人の方が多いので、理屈ではない部分で人を動かした方が効率も成功率も良いと合理的に考えれば気付くではないでしょうか。
通常、人が相手の意見に反論したい理由は、相手の意見が間違っているからではなく、自分を正当化したいからなので、理解のある態度を示すことによって相手の心は寛容になります。
「お前が間違っているんだ」に反発する人は多くても、「間違っていたのは私の方でした」に反発する人はいません。
「私が間違っていました」と寛容な態度を示すことで、相手も負けずと「いえいえ、間違っていたのは私の方かもしれません」と寛容さで対抗してくるようになります。
相手の間違いを指摘しても相手はそれを認めませんが、自分が間違っていたと言い、寛容な状態で会話を続けることで「間違っていたのは私かもしれません」と間違いを認めるようになります。
あなたが真に「相手を自分の思い通りに操りたい」と思うのであれば、心から思えるような良い点を見つけて褒めたたえ、相手を否定せず、寛容な態度・誠実な姿勢で接し、笑顔で優しく会話をしましょう。
説得していると気付かれないように説得することが最強の方法なのです。
理想論なのでは?
『人を動かす』の言ってることは分かります。
基本的な姿勢として、上で書いたような「相手の心を思いやり、尊重して接する」という態度は有効的でしょう。
色んな部分で人間関係得するでしょうし、変に反発するよりも絶対にスムーズに会話が進むとは思います。
しかし、世の中には信じられないくらい話の通じない人がおり、どんなに尊重しようとも図に乗るだけのゴミみたいな人もいるのではないでしょうか?
YouTubeのコメ欄とかTikTokのコメント欄、Yahoo!ニュースのコメント欄とかを見ると、「世の中にはヤバイやつがたくさんいる」って思いませんか?
普段社会で関わる良識ある大人には有効な方法だと思いますが、その方法には限界があるのではないかというのが私個人の意見です。
ただ、この方法が間違ってるとは全く思いません。
人と関わるのであれば全員、相手を尊重する気持ちを大切にしないといけないでしょう。
何をしてるんだろう…となってしまう
相手を尊重し、相手を認め、相手を肯定する。
全く同意できない内容でも褒める。
くだらないと思う話を興味津々な雰囲気を出して聞く。
実践すると、確かに人間関係はうまくいきます。
しかし、ふと「何でこんなことをしてまで会話しなくちゃいけないんだろう?」と思うこともあります。
まぁ、自由の相互承認と同じというか、「私も気持ちよく話ができるよう気を遣ってもらっているのだから、他の人にも気持ちよく喋ってもらえるよう振る舞う必要あるよね」といったところか。