『肩をすくめるアトラス』で知った「才能のある者と無い者の差」

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こんにちは!かいしーです!

かいしー読書部では、私が読んだ本を紹介していきます!

ぷち教養主義の名前に恥じないよう「教養になりそうな本」を私の独断と偏見と好みで選んで紹介していきます!

記念すべき第一回目に紹介するのは『肩をすくめるアトラス』です。



第一部、第二部、第三部の三部構成ですね。

文庫版ではないものもあるのですが、絶版でお高くなってます。

ゆっくり読んだのでボロボロだ…。

さて、『肩をすくめるアトラス』がどのような本なのか、その感想を紹介していきます!

肩をすくめるアトラス|あらすじ・内容

『肩をすくめるアトラス』はロシア系アメリカ人の小説家アイン・ランドの最後の小説です。1957年発売。

Amazonに掲載されているあらすじはこちら

タッガート大陸横断鉄道の副社長ダグニーは、政治的駆け引きに明け暮れる社長で兄のジムと対立しながら鉄道を経営している。成長著しいコロラドの路線の再建のため、彼女は起業家のリアーデンが十年をかけて開発した画期的なメタルを採用し、新線を完成させる。だが企業活動を阻む規制が強まるなか、実業家たちが次々と姿を消していく。

大雑把に説明すると、『肩をすくめるアトラス』は1900年代前半か半ば?の架空のアメリカを舞台としたディストピア系の思想小説で、恋愛・ミステリー・SFの要素もある作品です。

あらすじにもある通り、実業家たち(有能な人たち)が次々と姿を消してき、やがてアメリカ中から有能な人が消え去り、取り残された無能な人(たかり屋)だけで世界を維持・発展することができず崩壊していくディストピアを描いています。

「有能な人たちはどこへ消え去ったのか?なぜいなくなったのか?」というミステリー要素

「主人公と登場人物の恋」という恋愛要素

「時代に合わない超技術」が出てくるSF要素

そこに、作者であるアイン・ランドの思想が詰まったのが『肩をすくめるアトラス』になります。

登場人物は「有能な人(実業家なと)」と「無能な人(たかり屋)」に別れており、まぁ無能な人はある意味無能ではないのですが、有能vs.無能という2つの立場の意見のぶつかり合いをずーっと行ってる内容です。

有能な人だけ世界からいなくなったら世界はどうなっちゃうんだ?

肩をすくめるアトラス|思想小説

特徴的なのは三部の”破壊者”による演説で、”破壊者”による演説は約90ページにも及びます。

『肩をすくめるアトラス』は思想小説で、作者の思想”オブジェクティビズム”が込められています。

自立とは、判断することは自分の責任であり、なにものも判断の回避を助けることはなくーー誰も自分に代わって人生を生きることができないように、自分に代わって考えることのできる物はおらずーー自己をおとしめ、破壊する最悪の形は自分の理性を他人に従属させ、自分の頭脳より上のものとして権威を受け入れ、その主張を事実として、断定を真実として、命令を自分の意識と存在の仲介者として受け入れる事だ、という事実の認識である。

かっこいい。

自立とは自分の人生を自分で行うことであり、自分の知性の他者のものにしないこと。

それほどまでに知性を重要視する思想を描いているのが『肩をすくめるアトラス』なんですね。

このように、『肩をすくめるアトラス』では、道徳とは何か・生きていくために大切にするべきことはなにか、という作者であるアイン・ランド氏の思想が語られています。

また、保守的な内容であり、社会主義を強く否定するような内容でもあります。

多分、アイン・ランド氏の言いたいことは「自分の人生は自分のためにある。決して他人のためにあるわけではない。」ということだったのではないかなと私は思いました。

他人のために自分を犠牲にすることが許せない、そういう強い思いを感じさせる内容でしたね。

俺の人生は俺のものである!

肩をすくめるアトラス|知性と道徳

人間が生きていくためには知性が必要。

例えば、食べ物を手に入れることでも、「どうやって手に入れるか」「それは食べられるものなのか」を知らなければ手に入れることはできません。

つまり、生きていくためには人は考える必要があると言えるでしょう。

人間の生命は本来、愚鈍なけなものや、略奪で働く悪党や、たかり屋の神秘家ではなく、考える存在の命ーー武力や詐欺ではなく業績によって支えられた生命だ。際限ない代償を払って生存するものではない。人間の生存に払う代償は理性だけなのだから。
幸福は成功した人生の状態であり、苦痛は死をもたらす力である。幸福とは人の価値観をまっとうにすることに由来する意識の状態のことだ。おのれの幸福を放棄することに幸福を見いだし、おのれの価値観の挫折に価値を認めるべきと説く道徳は、道徳の傲慢なる否定である。

「自分の人生は自分のためにあり、自分の人生を他人のために犠牲にしてはならない」というメッセージが込められていますね。

才能のある人が自由に活躍できる状態が最高の状態であり、才能や目的のない人間を否定するような感じが読み取れます。

人間は生きる為に考えなけらばならないから、考えること・理性を使うことが道徳的であり、自分の人生を他人に任せる(自分で考えない、理性を放棄する)のは不道徳である、ということですかね?

考える・理性を用いることで幸福を追求するすることができるということでしょうか。

個人的には「幸福=人生の成功」と思ってないため、完全にはアイン・ランド氏の思想に賛同はできませんが、言いたいことは分かる気がします。

肩をすくめるアトラス|感想

ここからは個人的な内容を言います。

都合の良すぎる内容だな

はい、言いました!

才能のある人、知性を持つ人を持ち上げるために都合良く作られたストーリーだなというのが率直な意見です。

物語を都合良く動かすことで、才能・知性・能力の素晴らしさを信じさせようとしている。

ある種の洗脳じゃないですが、(自称も含めて)才能あると自覚している人の自分勝手さを助長させるというか、才能のある人が、「自分は自由に才能を活かすべきなんだ」と思い込んでしまうような危なさを感じる小説でした。

(この人は全然普通の人なのに、「自分が誰よりも特別だ」と勘違いしてる…。)

こういう人を生み出しそうな感じ。

自分のことが特別だと勘違いした普通以上エリート未満の中途半端野郎が『肩をすくめるアトラス』を読むことで、「自分はもっと自由に力を使うべきなんだ」と勘違いしてしまう。少し遅い中二病を発症させるような内容だと思いました。はい!

ただ、アイン・ランド氏の言いたいことはハッキリしており、共感できる部分も確かに存在してるので、全てを否定する人もいないのかなと思います。

才能ある人は自由に才能を使って活躍して欲しいという気持ちがある一方で、才能のない人を切り捨てる考えに全面同意ができない。これが素直な気持ちです。

現実はそんな甘くない。才能もなければ能力もない、理解力もない、まともに議論できない人が大勢いて、そういう大勢の人たちと一緒に世界を動かしてるという事実を無視してはならない。

人間を何種類かに分類したとして、特定の人達だけを蔑ろにして世界は回らない。

『肩をすくめるアトラス』はある種の理想であり、その理想は現実として叶うことは無いでしょう。なぜなら、人間は優秀な人だけではないのだから。

優秀な人は優秀な人たちだけで自由に能力を活かして他人に妨げられずに活躍するべきだという考えは、ある種の傲慢。

そういう手法を取ることで新しい技術が生まれて世界は進歩するかもしれないが、その理想を叶えるための代償・犠牲が多すぎる。

世界のほとんどの人がエリートではないし、知性を持たない人に知性を持つことは強制できない

って私は思いました。

ただ、ある種の理想が詰められている『肩をすくめるアトラス』は、一部のエリートやエリートっぽい人に刺さるような内容であることは確かです。

強烈な麻薬のような、脳内に直接作用する新しい刺激を得られるような感覚に陥ります。

もしかしたら世界は間違っているのかもしれない…?

という中二病を発症する力を持った強烈な思想小説だったので、読んでみてとても良かったなと思いました。

後シンプルに、小説としての言葉遣いが心動かされるくらい上手で、小説としての格が高いなと感じました。

このような強烈で面白い思想小説を生み出せることに嫉妬します。

自分の人生は自分のためにあり、他の誰かが自分の人生を乗っ取って好きに使うだなんて許せないという気持ちが僕の中にも確かにあり、その気持ちを刺激されました。

まとめ

なんだろうな、地方の町内会に海外大学卒のエリートがやってきて「話が合わない!」って言ってるのを見てるような小説です。

頭の良い人と悪い人の話のかみ合わなさが見ていて楽しいのと、推理・恋愛・SF要素を楽しみつつ強烈な思想の影響を受けることのできる劇薬って感じです。サイコー。



人生で一度は読みたい小説、間違いなし。

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