かいしー読書部では、私が読んだ本を紹介していきます!
今回紹介するのは『カント全集17 論理学・教育学』です。
『カント全集17 論理学・教育学』には教育学だけではなく論理学も載っていましたが、そちらは読まず教育学だけ読みました。
哲学の本、特に歴史の教科書に載るような人たちの本は難しくて、読んでも正しく理解できてるか分からないのでお腹いっぱいです。
とはいっても、『実践理性批判』と比べたら『教育学』は100万倍読みやすかったです。
『カント全集17 論理学・教育学』|要約・著者紹介
要約
ケーニヒスベルク大学では、哲学の教授が交代で教育学の講義を担当していた。カントが教授として教育学の講義をしたときの覚え書きを友人でもあったF.T.リンクがまとめたのが「教育学」。
赤ちゃん~小学校低学年くらいの子供に対する教育。
〇人間とは教育されなければならない唯一の被造物である。そして、教育とは「養育(擁護・保育)」と「訓練(訓育)」および「人間形成をともなった知育」ということを意味している。
養育:子供が能力を誤って使用しないように両親が配慮すること。
訓練:動物性を人間性に転換してゆくこと。本能ではなく理性を持って行動するようにさせること。成長したあとに人間を変えるのは困難なので、子どものごく早い時期に訓練を行うべきである。
人間形成をともなった知育:教化。
人間は教育によってはじめて人間になることができる。
〇教育において人間は訓練されなければならない(動物性が障害となるのを防止するよう努力すること、野性的な粗暴さを抑制すること)。また、人間は教化されなければならない(教化は教授および知育、熟達した技能を獲得するため、読み書きとか。任意の目的に対して十分な能力を持つようにすること)。文明化することで怜悧に(賢く)なって他者に善い影響を与えていくことが留意されなければならない。最後に、真に善い目的(定言命法的な目的)だけを選択するために道徳化しなければならない。
〇人間形成とは、消極的には欠点を矯正するための訓練、積極的には知育と指導。
〇教育学ないし教育論は自然的か実践的かのどちらかである。自然的な教育とは保育のこと。実践的教育(道徳的教育)はそれを通して人間形成が行われて人間が自由に行為する存在者として生活できるようにするための教育、人格性のための教育、自立して社会の構成メンバーのひとりとなり、自己自身の内的価値を持ちうるような、そうした自由に行為する存在者をつくり出すための教育。
〇実践的教育は、まずは知識伝達し、実用的な人間形成を行い、最後に道徳化する。
〇子どもは遊ぶべきであり気晴らしの時間を持つべきであるが、労働することも学ばなければならない。人間は怠惰に過ごせば労働しようと決心することが困難になる。人間は労働しなければならない唯一の動物である。
〇放心状態は少なくとも学校においては決して許されてはならない。方針へのある性癖をつくり出してしまうからである。
〇子どもに恥を教えるのは「噓をついたとき」だけに限る。「こらっ!どうして指を咥えてるの!」って怒ってもどうして恥なのか分からない。恥じるものが多くなると臆病の原因になる。
〇例えば子供が嘘をついたとき、子供を罰するのではなくむしろ軽蔑の念を持って子供をに接して「これからひとに信用されなくなるであろう」と言わなければならない。
のようなことを繰り返し主張しているような内容。
著者紹介
哲学者カント。
哲学といえばカント、カントといえば哲学。ただそれだけ。
『カント全集17 論理学・教育学』を読もうと思ったきっかけ
カントの著書に教育学があったので、教師として生きてく上で必要だと思い読みました。
あまりにも教育に関して無知な自分を正すために、カントの哲学を吸収してみようと思ったわけですね。
本を読むことが全てとは思いませんが、1、2日くらい読書に使っても別にいいでしょの精神で読みました。そんな時間のかかることでもないですしね。
多分、これから何度も読むことになるんだと思います。今理解できることはそこまで多くないので。
『カント全集17 論理学・教育学』から学んだこと
人間は正しく教育しないと人間にならないんだ。
人間は無限の可能性があるというか、動物的にもなれれば人間的にもなれるし、非道徳な人にもなれれば道徳的な人にもなることができるのだから教育が大切だということが書いてあったのかな。
「恥」という概念は親が子供に教えるものみたいなことは新しい発見だった。
子供は何にも囚われず自由に行動するが、それが「恥」なのかどうか自分で知る術を持たない。親が「そんな恥ずかしいことはやめなさい」と言うことでその行動が「恥」であることを学習する。
「行儀がよくない!」も同じ。例えば、「人を指で指してはいけない、失礼だ」なんてことは子供は最初は知らないのである。
「恥」という概念を子供に与えることによって子供の行動を抑制することはできるが、それは「嘘をついたとき」限定にすると良いだろう。なぜなら、嘘をつく人は品性がなく道徳的でなく目指す人の姿じゃないからだ、ということが言いたいのかなと思いました。私は、そう受け取りました。
とにかく道徳的、品性、誠実さが大切であり、道徳的な人になるような教育が大切であるということを言い続けていると感じた。
感想
「人間とは教育されなければならない唯一の被造物である。」
が最初の一文目にあると知らなかったので、最初にこの文章が出てきて笑っちゃいました。これ最初の一行目なのか~いという気持ちです。
他の哲学本と比べたら読みやすいけど、それでも難しい。
その人の頭の中を直接覗いているかのような難しさ。
多くの人は相手にわかりやすく伝えるために工夫をしていますが、哲学は頭の中を直接覗くから伝えやすいように工夫されておらず、ややこしい。
「誠実さ」「道徳性」が大事だと思ってるのはよく分かった。
ほんとこれだけ。
色んな言い方をしていますが、言いたいことは道徳性を重視して、いかに道徳的な人に育てるかということなのかなと思います。
そのための手法は議論の余地があるというか、あくまで一意見にとどまってるのかなという印象でしたが、言いたいことは分かったつもりではいます。
でもやっぱ難しい~。こういう本を何冊も読んで感想を書いていけばもっと深く理解できるようになるのかな?
カントの『教育学』をどう読み取ればいいのか、誰か教えてほしいです。
私は、人間は何にでもなれるから教育で人間にしましょう。道徳のある人間にするために手順があります、誠実さを大切に。ということが書いてある本だと読み取りました。r