かいしー読書部では、私が読んだ本を紹介していきます!
今回紹介するのは『冒険の書 AI時代のアンラーニング』です。
色々なサイトで高評価されているようだったので読んでみましたが、率直に言って良いとは全く思いませんでした。
あくまでも主観ですが、「高評価されている=良い本」とは限らないという典型例ですね。
もちろん、中には良いと思うところもあります。しかし、全体的に好ましくないという印象です。
高評価が多いのは、普段あまり読書をしない層が読んでるからですかね?物事を深く考えない人が”お目覚め”するにはちょうどいい本って感じです。
まぁ要は、中途半端な意識高い系の本。
『冒険の書 AI時代のアンラーニング』|要約・著者紹介
要約
「私たちはなぜ勉強しなきゃいけないの?」
「好きなことだけしてちゃダメですか?」
「自分らしく生きるにはどうすればいいの?」
「世界を少しでも良くする方法は?」
数々の問いを胸に「冒険の書」を手にした「僕」は、時空を超えて偉人たちと出会う旅に出ます。
そこでわかった驚きの事実とは――
起業家・孫泰蔵が最先端AIにふれて抱いた80の問いから生まれる「そうか!なるほど」の連続。
読み終えたあと、いつしか迷いが晴れ、新しい自分と世界がはじまります。
「混迷する世界をつくった本当の課題とはなにか?」
「AIの未来に何をすればいいのか?どう生きるか? 」
「リスキリングってほんとうに必要なのか?」誰もが迷う「問い」を胸のすく「発見」につなぐ本書は、どう生きるか悩むあなたに勇気と指針をくれるでしょう。
混迷する世界、AIの未来に必要な、新しい気づきが満載!
・無理やり詰めこむ知識も、仕方なくやる仕事も、AIに負ける
・才能や能力は迷信。AI時代にはまったく意味がなくなる
・学びにも仕事にも「遊び」を取り戻すことが大切
・イノベーションは論理的思考では生まれない
・大事なのは、学んだ知識や成功体験を捨てること
・自立とは、頼れる人を増やすこと
ここにも書いてある通り、主人公が「冒険の書」を手にして、様々な時代の偉人たちと出会い(タイムスリップ的な)、色々な考え方を教えてもらうといった内容。
著者の考えを物語のように語る。
学校とは何のためにあるのか、なぜ勉強するのか、どう生きればいいのか、等々。
著者紹介
孫泰蔵
連続起業家
1996年、大学在学中に起業して以来、一貫してインターネット関連のテック・スタートアップの立ち上げに従事。2009年に「アジアにシリコンバレーのようなスタートアップのエコシステムをつくる」というビジョンを掲げ、スタートアップ・アクセラレーターであるMOVIDA JAPANを創業。2014年にはソーシャル・インパクトの創出を使命とするMistletoeをスタートさせ、世界の社会課題を解決しうるスタートアップの支援を通じて後進起業家の育成とエコシステムの発展に尽力。そして2016年、子どもに創造的な学びの環境を提供するグローバル・コミュニティであるVIVITAを創業し、良い未来をつくり出すための社会的なミッションを持つ事業を手がけるなど、その活動は多岐にわたり広がりを見せている。
知っている人も多いでしょう。
様々な活動をしている尊敬できる人ですね。
『冒険の書 AI時代のアンラーニング』の感想
『冒険の書 AI時代のアンラーニング』を読んで感じたことを書きます。
あくまでも感想。あくまでも個人的な推測です。
敢えてレベルを落としている?
しかしこういうドライな演出は、日本では受けない。素材の情報より、スタジオでみのもんたが大げさに憤ってみせるコメントのほうを視聴者(特に女性)は喜ぶからだ。私がNHKに勤務していたころ教わったのは、「典型的な視聴者は、50歳の専業主婦で高卒だと思え」ということだった(politically incorrectだが)。
たぶん民放はもっと低く設定しているだろう。それが市場メカニズムでは正解である。1億人の知的水準の平均値は、当ブログの読者には想像もできないぐらい低いのだ。それに迎合する古舘氏の戦略は正しいが、まともな視聴者が見ていて気持ち悪いということは知っておいたほうがいい。
ものすごく悪い言い方をすると、もう、
「馬鹿にどう見せるか」と、みんな絶対に
クチには出さないけれども、どこかのところでは
みんながそう思っているようなフシがありますね。
これと同じことを敢えてしているのかな、というのが率直な感想です。
テレビやCMが視聴者層に合わせて敢えてレベルを下げているのと同じように、読者層のレベルに合わせて敢えて内容を粗くしているんだと思います。
多分、孫泰蔵さんはもっと深く物事を考えてらっしゃると思うのですが、多くの方に読んでもらうため=普段読書をしないような人に考えるきっかけを与えたいため=売上を伸ばしたいため?に敢えてレベルを落としているのでしょう。
“冒険の書”というタイトルや、主人公がタイムスリップして各時代の人と出会うという構成も「読書に慣れていない・考えることに慣れていない人向け」であると考えると納得です。
ゆえに、普段読書をしている人・物事をよく考えている人が期待してこの本を読むと「なんか違うな?」と思ってしまうのです。
例えば、
思考停止はかならず「手段の目的化」を生み出します。大学に行く理由は本来、自分が探究したい学問を研究するためであり、大学に入ることは単なる「手段」にすぎないにもかかわらず、今では「いい大学に入ること」そのものが勉強の目的になっています。これを「自己目的化(activity trap)」といいます。
(『冒険の書』より引用)
を見て分かる通り、「いい大学に入ること」そのものが勉強の目的になっているようなレベルの層の人が読むことを前提に書かれている本なので、自分が探求したい学問を研究するために大学へ行った人はそもそも読者層として想定されていません。
つまり、
ということ。
色々な人の思想を取り入れるというメリットを得ている代わりに、思考がまだ浅いのに別の話に変わってしまうという欠点があります。
これも、話が深くなりすぎると内容に付いていけない読者への配慮なのだと思います。
「信仰」という言葉を使って印象操作をしようとしている
“印象”の影響は計り知れません。
どんなに良いことを言っている人でも、人としての印象が悪いと正しいことを言っているとは思えませんよね。
『冒険の書』では、既存の考え方・作者の意に反する考え方を「信仰」とレッテル貼りをすることによって、自分の意見の正しさを主張しようとしています。
これも、あまり考えることが得意ではない人に自分の意見を刷り込むための効果的な方法であると言えるでしょう。
能力は侵攻で運や才能も迷信である。必要なのは「アプリシエーション」という励みだ。
のような文章が多い。
“迷信”という言葉が持つ「正しくない」というイメージを利用して主張を通そうとしているのがバレバレです。
具体的には、「役に立つか立たないかはものの見方次第で、世の中に役に立たないものはひとつもないはずだ」という「無用之用」を信じて生きていこうと思っているのです。つまり、「無用」なものまでも視野に入れ、「すべては複雑にからみあっていて、だからこそ豊かな世界が生み出されているのだ」という世界観を持つようにするのです。そうやって生きていくほうがよほどおもしろくてやりがいがあり、みんなが幸せに生きていけると僕は信じています。
> みんなが幸せに生きていけると僕は信じています。
過去の”偉人”を使っているのも、自分の言葉に権威性を持たせたいからでしょう。
自分の意見を言いたいだけ?
本なのですから、自分の意見を言いたいのは良いことです。正しいです。
しかし、自分の意見の正当性を主張するために偉人を利用しているだけだという印象を本書から受けます。
他にも、想定する”学校”のレベルが低く、学校で行っているとされている教育が結構前の時代の話をしているのかなという雰囲気を感じます。
人は誰しも自分の過去がムダだった、意味がなかったと思いたくはありません。それは自分の人生を否定することにつながるわけで、誰もそうしたくないはず。「今になって考えてみれば、あの時やってよかったと思う」というのは、「自分を認めることによって自分の過去に意味を持たせたい」という気持ちからきているのだと思うのです。
という文が本書の中にあるのですが、まさに作者の経験や考えが間違いではないと思いたいという気持ちが強く伝わってきました。
また、「〜は思考停止ではないか?」のように他人の考えを「思考停止」と評してしまうのも、自分の意見が正しいと思いたいだけの“思考停止“なのかもしれないと感じます。
問題提起は素晴らしい
めっちゃ批判してますが、「問題提起」に関しては文句なしです。
という問題提起が多くされていて、問題提起の内容は間違いなく正しいと思いました。考察や結論はさておき。
人間のすべての活動は本来、好きだから楽しく真剣にやっている、ただそれだけで十分なはずです。それなのに、「熱意や努力ではどうにもならない才能や適性、素質などを持っていない者はいくらやってもムダだ」という考えが人々のやる気を奪ってしまいます。
という問題提起とか、もっと皆考えるべきだと思いますね。
「本当にそうなのだろうか?」「これで正しいんだろうか?」を考えるきっかけとして最高です。
他にも、
・メリトクラシー(能力主義)の是非
・自己責任論が不幸を生んでるんじゃないか?
・なんで学校に行かなくちゃいけないんだろう?
・どうして不登校やいじめが増加しているのだろう?
・どうして学力を高める必要があるのか?
・人工知能が発達したら学力なんて必要無くなるんじゃない?
・なぜ好きなことだけして生きていけないのだろうか。
・現代社会は荒んでいるのか?
・そもそも、なぜ差別があるのだろう?
・人生でやりたいことは何?
等々、そういえばよく考えたことなかったなと思うような問題が多くあることを思い出させてくれます。
この問題提起には私も全面同意で、もっと一人一人が考えていかないといけない問題であると思います。
私たちにはもっと考えるべきことがあるんだよ、こういうことって普段あまり考えない人多いよね、考えたことなかったけど実際どうなんだろう?
といった、問題に向き合うきっかけとして重要な役割を果たす本ではないかと思います。
敢えて対象レベルを下げ人を惹きつけ、そのような層の人に問題提起をする。素晴らしい戦略を考えたもんだと感心しました。