2024東京都知事選挙での候補者叩きが醜い話

かいしー先生の雑記
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「私は”マトモ”だ。だが、あいつは”マトモ”じゃない。」

という、人間の自己保存的な、心の自己防衛的な本能のぶつけ合いが醜い。

 

…。

 

2024年7月7日、安倍元総理が殺されてから早くも2年のこの日、東京都知事選挙が行われました。

史上最多の56人が立候補し(といっても、N国党が多いだけでしたが)、色々な意味で注目される選挙になったことは間違いありません。

その注目もあってか、投票率は60.62%という数値を出し、都知事選としては平成以降だと2012年の62.60%に次ぐ2番目の投票率となりました。

小池百合子、蓮舫、田母神、石丸、N国党などなど、どこを取っても記事にできるような面白い選挙だったのではないかと思います。

しかし、インターネットを見て回ると候補者叩きのあまりの多さに驚かされます。

どうしてそんなに人を叩いてしまうんだろう、馬鹿にしてしまうんだろう。その行為は誰を幸せにするんだろう。

その理由は、「他人を見下すことによって自分はマトモだと思い込みたいという欲求がある」からだ。そんな話をしていきたいと思います。

#日本終了

一番驚いたのは「日本終了」というハッシュタグがトレンド入りしていたこと。

SNSでは〈百合子に東京は任せられんて…。もう東京いや、日本が終わったな…〉〈この国の未来に絶望しかない〉〈東京終わったやろ…なぜ学ばないのか?〉〈頑張って投票行ったのに何にも変わらなかったじゃん。東京終わったなって思った〉といった声が噴出し、一時は「日本終了」「東京終了」なるワードが同時にトレンド入りする事態にまで発展した。

https://news.goo.ne.jp/article/shueisha/trend/shueisha-250995.html

「日本終了」「東京終了」がトレンド入りするくらい批判する人が多いことに驚きです。

実際、Twitter、5ch、ヤフコメ、YouTubeコメント欄、色々な場所で色々な人が選挙や候補者に対して意見ないし文句を言っているのを見かけます。

「自分の考えが正しい、あの人の行動は間違っている」ということを主張したい人が多いのでしょう。

文句を言っている人に注目してしまっているだけかもしれませんが、あまりにも多いというのが現状です。

これだけ文句が多ければ海外のようにデモとかも起きるのかな…とも思いましたが、彼らはネット上に不満をさらけ出すことによってストレス発散をしているわけですから、行動力はあまりないでしょう。

ただ、あまりにも多すぎる候補者叩きを見かけると、”いや~な気持ち”になってしまいますね。

知り合いの悪口ばかり言っている人を見かけたときと同じ気分です。

多すぎる候補者叩き

実際、どういうふうに候補者たちは叩かれているのでしょうか。

あくまでも候補者叩きの例を見るだけであって、内容の是非は置いておきます。

実際にインターネットに溢れているお気持ち表明をウォッチングしましょう。

どの叩き行為にも共通しているのは「あいつは馬鹿、俺の方が頭いいし物事を分かっている。俺の方が上だ。」という構造です。

https://twitter.com/bblemon_0120/status/1810985477123752157

こちらは暇空茜さん叩きの例になります。

内容の真偽はともかく、「話が通じないのは相手の能力が低いからだ。」と暇空茜さんを馬鹿にする・見下すという行為を行っています。

蓮舫叩きの例です。

「蓮舫さんの行動・発言のレベルが低い」
「理解力がないのではないか」
「物事を(私と比べたら)分かっていない」
「(私と比べたら)理解力が無い」

という種類の発言をよく見かけます。

これも、「私は”マトモ”だ。だが、あいつは”マトモ”じゃない。」という構造です。

小池百合子叩きの例です。

小池百合子が当選して喜んでいる人なんていない。嬉しくないのが普通だ。喜んでいる人は”マトモ”ではない。

という種類の主張ですね。

「日本終了」というハッシュタグも、「私の持つマトモな感性からずれている日本は終わっている。私はマトモだけど日本はマトモではない。」というお気持ちから来ているのでしょう。

誰がなんて言おうと、結果は小池百合子さんの圧勝です。

リプ欄を見ると石丸叩きをたくさん見ることができます。

石丸構文という言葉を使うことで「アイツの感性は狂っている、俺は”マトモ”だ。」と自尊心を高めようとしています。

一部の人からかなり注目されているようで、石丸さんに関する多くのネットニュース・やり取りが行われています。

例の日テレのインタビューで批判されてしまっている古市さんはお気持ち表明をしています。

あれ、それって石丸さんの定義した「政治屋」そのものじゃないの? 僕は安芸高田市民ではないので批判する立場にはありませんが、市長は途中で辞めてるし。

だから、石丸さんの批判する「政治屋」と、石丸さん自身がどう違うのかを何度も聞いたんです。そこを聞けば、具体的な話になると思ったからです。でもならなかった。こっちとしては不思議でした。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b1502e5534f25a84216b4a512ddcddab573f73a9

これも、「私のマトモな感覚とずれているあの人は”マトモ”ではない。」という内容です。

ちなみに、石丸さんも「相手のレベルが低い」と受け取れる発言をしています。これも他者批判。

ただ、古市さんはお気持ち表明の中で良いことを書いていて、

もし石丸さん支持をもっと増やしたいなら、石丸さんを批判する人も仲間にしていかなくちゃいけないわけです。反・石丸の人を、攻撃的にののしっても、仲間は増えないと思うんですよね。「ごめんなさい、私が間違っていました、これからは石丸様についていきます」ってならないよねえ。だったら「石丸さんの支持者っていい人が多いな。まともだな」って思われた方が絶対にいい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b1502e5534f25a84216b4a512ddcddab573f73a9

と仰っています。

この文からも読み取れるように、「自尊心、自分が正しいという心を傷つけるような人には従わない」人が多いのでしょう。自己分析がよく出来ていると思います。

多くの石丸批判は「あの人は私のことを大切にしてくれなさそう、だから嫌い」という内容で、自分と敵対している人(パワハラ上司やクレーマー)と似ていると評します。

これは、「正しい私に敵対する=正しくない」という構造です。

皆、自分が一番大切なんで、自分を否定したくありません。

自分が正しいと思いこむために他者を批判しています。

もちろん、これを書いている私も、これを読んでいるあなたも同じです。

「嫌な人は支持されない、私はあの人が嫌い」という正しい意見を言っている人も嫌な人になっているところが面白ポイント。

大切なのは”マトモ”ではなく”現実”である

大切なのはその人が”マトモ”かどうかではありません。

マトモだろうがマトモじゃなかろうが、要は東京を、日本を良くすることができれば何でも良いのではないでしょうか。

判断基準を「マトモかどうか」ではなく、「日本を良くできるかどうか」にするべきです。

小池百合子がマトモじゃなくても日本を良くできればいい。
蓮舫がマトモじゃなくても日本を良くできればいい。
石丸がマトモじゃなくても日本を良くできればいい。
田母神がマトモじゃなくても日本を良くできればいい。

つまり、「どういう政策が日本を良くするのか」に関する議論をするべきであって、「あの人は”マトモ”なのか」なんて言い合う必要なんてないのです。

え?
「”マトモ”な人じゃないと政治は任せられない?」

そのマトモかどうかの基準はお前の中にある感覚だろ?

お前が思うならそうなのでしょう、お前の中では

ってことなんじゃないの?

結局、候補者叩きをしている人は日本を良くしたいなんて気持ちは欠片もなく、自分の心を満たしたいだけの人間なんです。

日本のために候補者叩きをしていると思っている人は、「火事になった家の火を消したい」と言いながらガソリンをかけているようなものです。

火事になった家の火を消すために正しいことは水をかけることであって、水をかけているのであれば水をかける人がマトモかどうかは関係ありません。

候補者叩きではなく、どんな政策が日本を良くするのかについて発信した方が有意義ではありませんか?

うーん…日本に必要なのは何よりも少子化対策なので、若い女性が集まっている東京を子育てしやすい街にするか、一極集中を減らして東京に来る若い女性を減らすか…?

みたいな話、しませんか?

自分が正しいと思い込みたいフィルターを外そう

今回、10代・20代の若者も結構な数の人が投票をしてくれました。

10代・20代の人はネットをよく使い、色々な情報を手にします。

せっかく投票してくれた若者が、自分の投票した候補者が色々な人から批判され、袋叩きのようなことをされているのを見てなんと思うでしょうか?

まぁ、もしかしたら「自分の考えって間違ってたのかな…?」と自分を前向きに見つめ直すかもしれません。

しかし、それは候補者叩きをしなくてもできることです。様々な意見が飛び交うだけで自分の意見を見つめ直すことは可能です。

色んな人がいじめのように候補者を叩きまくるというインターネットの百鬼夜行を見させられたら、もう投票なんてしたくない・こいつらと関わりたくないって思ってしまうのではないでしょうか?

大切なのは一人一人が政治に関してもう少し考えることであって、候補者を批判することではない。

自分が正しいという気持ちを満たしたいがために他者批判をするのは良くない。

 

というのが私のお気持ち表明で、私も所詮は自分が正しいと思いたいだけです。

頑張って「自分が正しいと思い込みたいフィルター」を外そうとしてもどうせ外れません。

可能な限り「自分が正しいと思い込みたいフィルター」を外すように心がけ、他者のことを自分が正しいと思い込むための道具として使わないように気を付けていくことが大切なのではないかと東京都知事選を見て感じました。

かいしー先生の雑記

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