アインシュタイン「常識とは18才までに積み上げられた先入観の堆積物にすぎない」

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アインシュタイン「常識とは18才までに積み上げられた先入観の堆積物にすぎない」

アインシュタインの名言として「常識とは18才までに積み上げられた先入観の堆積物にすぎない」というものがありますよね。言葉の意味はそのままで、常識とは偏見の集まりであるという意味です。

アインシュタイン「常識とは18才までに積み上げられた先入観の堆積物にすぎない」の原文

アインシュタイン「常識とは18才までに積み上げられた先入観の堆積物にすぎない」の原文は

Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.

です。
日本語への訳し方は様々なので、原文でも意味を理解できると良いでしょう。

常識と偏見

「常識とは18才までに積み上げられた先入観の堆積物にすぎない」

このことに心当たりがあるのではないでしょうか。

例えば
「あの人って変な人だよね」
こういう言葉をよく聞くと思いますが、こういうことを言う人は””自分のことを普通””だと考えているのではないかと思います。

他の誰でもなく自分が基準であり、自分とは違うからこそ人のことを変であると言えるのです。

「いやいや!自分と比べているわけではなく、周りの人や友達にもいないような変な人のことを変な人と呼んでいるんだよ!!」
と思うのであれば、その人はまさに「常識が偏見のコレクション」である人と言えるでしょう。もちろん、それは悪いことではありません。

これは私自身にも言えることです。

私の実家には本が置いてありません。自分で買った本は置いてあるのですが、それ以外に全く本がないのです。
従って、本を読むには「買ってくる」か「図書館で借りる」のどちらかしかないと考えていました。

ところがある日、友人に「その本面白そうだね、どこで見つけたの?」と聞いたところ「お母さんが持ってた本で、貸してもらった」と言われました。
本は自分で見つけるものだと思っていた私にとってその言葉がかなりの衝撃であったことをよく覚えています。
まさに、自分のことが普通だと思っていると思い知った瞬間でした。

私も子供の頃からまわりにあるものを当たり前と思っていたらしく、「家に本が置いていないことが当たり前」と考えていましたのです。

他にも、幼稚園に行くのは当たり前、子供の頃は何かしら習い事をしているものである、高校は登下校に1時間くらいかかる、中高の数学くらい勉強しなくてもセンターレベルなら誰でもなんとなくで解ける。
など、自分にとっての普通が世の中の常識であると思ってしまっていたのです。

それが違うということ、自分の普通は周りの普通ではないことに私が気が付いたのは20歳くらいのことであり、そのとき自分が少しずつ大人になっていくのを感じた覚えがあります。

今では自分の普通は他人の普通ではなく常識は人それぞれ違うんだ、と考えるようになっています。

ワードやエクセルで「Ctr+Z」をまともに使えない人が多いということも知っていますし、スマホがあるのも今の時代の当たり前であって他の時代では当たり前ではないことも理解しています。

さて、あなたが「自分の普通と周りの普通が違うということ」に気が付いたのは何歳のときでしたか?それともまだ気づいていませんか?

この名言が絶対的に正しいとは言いません。18歳ということに根拠も何もありません。
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」という言葉を残していますが、それが間違いであったと後の時代で判明しています。名言だからといって盲信するのは危ないですよね。

ただ、この名言がある種の事実を言い表しているのは間違いないのではないかと私は思います。

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