“頭の良い人は頭の悪い人の気持ちが分からない”の訂正案「自分の専門分野以外では、自分とレベルが離れすぎている人の感覚は分からない」

頭の良い人は頭の悪い人の気持ちが分からない
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あの人って、頭は良いけど人の気持ちは分かってないよね~

という話を聞くことってありますよね。

頭の悪い人は「頭の良い人って人の気持ちが分からないよね~」と思っていますし、逆に、頭の良い人は「頭の悪い人って何も分かってないよね~」と思っています。

このようなギャップは頭の良し悪し以外の場合にも存在していると思うため、今回は、”頭の良い人は頭の悪い人の気持ちが分からない”の訂正案として、「自分の専門分野以外では、自分とレベルが離れすぎている人の感覚は分からない」を主張してみます。

頭の良い人は頭の悪い人の気持ちが分からないのか?

頭の良し悪しの定義

まず、頭の良い人と頭の悪い人の定義をします。定義できませんが定義します。

頭の良い人:勉強ができる人 大学入試共通テスト(センター試験)で9割くらいは普通に取れる人

頭の悪い人:勉強ができない人 一般選抜(一般受験)するレベルに達していない人

本当に頭が良い人は勉強ができる人とは限らないと重々承知していますが、今回は上記の内容を頭の良い人・悪い人の定義として考えます。定義について議論するつもりはありません。

頭の良い人は試験の成績が良い人、高学歴、地方国立以上のイメージ

頭の悪い人は試験の成績が悪い人、高校の模試で偏差値40くらいの人を想定

気持ちは分からないのか?

「頭の良い人は頭の悪い人の気持ちが分からない」と言われています。

以下のような場合において、頭の悪い人は、「この人は頭が良いけど人の気持ちが分からないよね」と思うのではないでしょうか。

  • 説明が短すぎる
    …「これくらい言わなくても分かるよね?」という雰囲気を出されると、「もっと分かりやすく説明してよ」と感じる。
  • 馬鹿にされるとき
    …「まぁ、あなたは所詮この程度だよね」みたいに言われると、「私の気持ちや立場を理解できていない」と感じる。
  • 高圧的な態度
    …「この言い方が良くないって普通なら分かるでしょ」となる。
  • 感覚が違いすぎる
    …「これくらい数秒で計算できるでしょ普通」、物事に対する感覚が違い過ぎる、感覚が違うことを理解していない。
  • 前提知識に差がある
    …説明しなくても分かってる前提で話を進められる。

他にも何かありますかね?

上記の内容が正しいのであれば、頭の良い人は頭の悪い人の気持ちを理解していないと考えて間違いないでしょう。

高校レベルの数学なんて考えなくてもなんとなく分かるっしょ
(こいつ、人の気持ちが分かってないな…)

ただ逆に、頭の悪い人もまた頭の良い人の気持ちを理解できていません。

  • 知識の量や理解力が違うと見えてる景色や世界が違う
    …知識や理解力があって初めて分かることがあるので、そもそも頭の悪い人は頭の良い人の考え理解できない。
  • 決めつけてしまう
    …「勉強ばかりしてて人生経験がないよね」等、決めつけてしまう。頭の良い人には頭の良い人の人生経験がある。人生経験が足りていなかったとしても、それは頭の良し悪しとは関係ない。
  • 無駄な説明をしてしまう
    …そんなこと言わなくても分かるのに一々説明してくる。頭の良い人の気持ちが分かってない。

頭の悪い人の気持ちを理解している頭の良い人もいますし、頭の良い人の気持ちを理解している頭の悪い人もいます。

ただ、「あの人は他の人の立場を理解していないな」と思う場合もあります。

一般化するために、もう少し話を広げていきましょう。

お金持ちは貧乏人の気持ちが分からないのか?

政治家の人は庶民の感覚を理解していない!

なんてこと、どこかで一度は見たことがあるのではないでしょうか。

「政治家≒お金持ち」というイメージがあり、政治家やお金持ちの人は貧乏人の気持ちが分からないんだとよく言われています。

国会議員は一度、年200万で生活してみろ!!

「上級国民」「一般国民」というネットスラングもあるように、「上の人は下の人の気持ちが分からない」という想いが世の中に溢れているように感じます。

貧乏人も貧乏人で、「お金持ちの人は今まで何不自由ない暮らしをしていて何事にも余裕がある」のように勘違いしているので、多くの場合、お金持ちの人と貧乏人はお互いに理解できていないように見えます。

「頭が良い:頭が悪い」以外にも、お互いの気持ちが分からない例があると分かりました。他にも例を探してみます。

その他の例

ゲームが上手い人→ゲームが下手な人の気持ちが分からない

ゲームが下手な人→ゲームが上手な人の気持ちが分からない

スポーツが得意な人→運動音痴の人の気持ちが分からない

運動音痴の人→スポーツが得意な人の感覚が分からない

歌が上手な人→音痴の人の気持ちが分からない

音痴の人→歌が上手な人の感覚が分からない

絵が上手な人→絵が下手な人の気持ちが分からない

絵が下手な人→絵が上手な人の気持ちが分からない

必ずしもそうとは限らないだろ、というのは正しい意見です。

しかし、少なからず当てはまる場合があるのも事実です。

上記の内容に当てはまる場合と当てはまらない場合の違いはなんでしょうか?

私は、専門分野であるかどうかが例外の場合であると考えています。

専門分野なら理解できる

私は教師なので、他の職業に就いている方よりは頭の悪い人の気持ちを理解できやすい環境にいます。もし教師じゃなかったら頭の悪い人と関わることが少なくなってしまうため、頭の良し悪しの違いを理解しにくいでしょう。もちろん、全ては理解していませんが。

他の例でも同じです。

上に「スポーツが得意な人は運動音痴の人の気持ちが分からない」と書きましたが、スポーツを教えている側の人、例えば小学校でスポーツを教えている指導者は、運動音痴の人もよく見ますし話もするので、運動音痴の人の気持ちも分かりやすいのではないでしょうか。

同じく、歌の指導を受けて努力して上達した人は他の人よりも音痴の人の気持ちが分かるでしょうし、努力して絵が上達した人は絵を描くことが苦手な人の気持ちも他の人よりは分かっているはずです。

つまり、その道に詳しい人(専門分野)ならば、上手い人の気持ちも下手な人の気持ちも理解できる場合が多いのです。

スポーツと密接に関わってこなかった運動神経の良い人は運動神経悪い人の気持ちが分からない、絵が上手いけどイラスト関係や美術とあまり関わってない人は絵が下手な人の気持ちが分からない、初めから歌が上手いし音楽関係の仕事をしていない人は音痴の気持ちが分からない、となるのです。

結論:「自分の専門分野以外では、自分とレベルが離れすぎている人の感覚は分からない」

以上の内容を踏まえて、「頭の良い人は頭の悪い人の気持ちが分からない」の代わりに「自分の専門分野以外では、自分とレベルが離れすぎている人の感覚は分からない」を使うことを提案します。

頭の良い人も頭の悪い人もお互いの気持ちは分かりません。

何故分からないかというと、お互いのレベルが離れすぎているからです。

勉強もお金もスポーツも芸術も、レベルが離れすぎていると感覚は分からなくなります。

一般的に、ピアノが超上手い人と超超上手い人の違いは分かりませんし、サッカーでW杯優勝チームと準優勝チームの上手さの違いは分かりません。しかし、ピアノに詳しかったり、サッカーに詳しかったりする場合は理解することはできます。

同じく、経済の専門家はお金持ちと貧乏の両方の気持ちを理解しやすいでしょうし、教育の専門家は頭の良い人と悪い人の両方の気持ちを理解しやすい立場にあります。

故に、「自分の専門分野(詳しいこと)以外では、自分とレベルが離れすぎている人の感覚は分からない」がより正しい表現になるのです。

まとめ

頭の良い人は頭の悪い人の気持ちが分からないと言いますが、頭の悪い人も頭の良い人の気持ちを分かっていません。ただ、分かる場合もあります。

他にも、お金持ちと貧乏人や、歌が上手な人と音痴など、様々な対立した関係があります。

その分野に詳しい人は上の人と下の人の両方の感覚を身に付けやすいため、例外まで考慮すると「自分の専門分野以外では、自分とレベルが離れすぎている人の感覚は分からない」がより正しい表現となるのではないでしょうか。

頭の良い人は頭の悪い人の気持ちが分からない

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