「生きる意味って何だろう」と考えることってありますよね。
せっかく生きているわけですから、生きることに意味があるのかどうかを探してしまうのは、ある意味正常な状態であると思えます。
今回は、生きる意味が分からないときにどうすれば良いのかに対する私の考え方について紹介します。
※この記事に書かれていることは絶対的に正しい考えではなく、あくまでも私個人の考えであることに注意してください。
私が生きる意味なんて無いと思います…
生きる意味を考えるのは辛いことがあるから
生きる意味が分からず苦しんでいるとき、私たちは「生きる意味が分からない」から辛くて苦しいんだと考えてしまいますが、それは逆であると私は考えています。
× 生きる意味が分からないから辛い
のではなく、
〇 辛いから生きる意味を考えてしまう
ということです。
皆さん、楽しいときや何かに夢中になっているとき、生きる意味を考えますか?
仲良い人と楽しく話しているとき、美味しい料理を食べているとき、推しをテレビやYouTubeで見ているとき、生きる意味を考えませんよね?
人は、人生が順調で満足しているときは生きる意味を考えず、辛く苦しいときに生きる意味を考えてしまうのです。
生きる意味を知っても苦しみからは解放されない
生きる意味が分からない中、なんとか生きる意味を見つけたとしても、今抱えている苦しみからは解放されません。
生きる意味が分からないから辛いわけではなく辛いから生きる意味を考えてしまうため、例え生きる意味を見つけても根本的に辛いと感じていることは何も解消されないのです。
また、他人から言われた他人の生きる意味なんて、苦しんでいる人にとって価値は少ないものなのではないでしょうか。
つまり、頑張って頑張って生きる意味を探そうとすること自体が間違いなのです。
生きる意味を私に教えて下さい……。
毎日が辛い原因は他にある
毎日が辛いのは、生きる意味が分からないからではなく他に原因があります。
原因は年齢や性別、家族や人間関係によって様々で一人ひとり異なり、教師としての経験上よく聞くのは以下の通りです。
- 両親と仲が悪い
(DVを受けている、両親が別居や浮気をしている、親が厳しくて部活も塾も決められている等) - 友人とのトラブル
(いじめ、仲良かった子と喧嘩した、失恋、性的被害) - 部活でのトラブル
(上手くならない、チームの足を引っ張ってしまった、先輩が怖い) - 失敗
(テストで点数が取れない、受験が怖い、就職失敗)
人間関係や理不尽なルール・社会体制による悩みが多いイメージですね。
もちろん、年齢層によって変わるものである思うので、20代30代以上の場合は違った悩みになるかと思われます。
人間関係がうまくいかなかったり、部活や入試が嫌だと感じたりすると、ふと「私って生きてる意味あるのかな…」と考えてしまうのです。
生きる意味が分からなくて辛いときの対処法
生きる意味が分からなくて辛いときは、生きる意味を探すのではなく、辛いと感じる他の原因を取り除くようにしましょう!
人生が楽しい!満足している!
という状態になると、わざわざ生きる意味を考えないようになります。
× 生きる意味があるから人生が楽しい
のではなく、
〇 人生が楽しいから生きる意味とか考えない
のです。
上で書いたような、自分が苦しんでいる原因(主に人間関係トラブル)がなくなれば、嫌なこともなくなり生きる意味が気にならなくなります。
つまり、辛い原因を取り除くことが、生きる意味を考えてしまうことに対する対処法なのです。
試しに、人生楽しそうにしてる人に「生きる意味って何?」って聞いてみてください。きっと、その場で考えた(事前に考えていない)テキトーなことを言うと思います。
生きる意味をきちんと考えている人なんて稀で、ほとんどの人は生きる意味を知らず・考えずに生きているのです。
それはそれとして、生きる意味は何?
それはそれとして、生きる意味って何ですか?
生きる意味が分からなくて辛いのではなく、辛いから生きる意味を考えてしまう、ということは良く分かりました。
それはそれとして、生きる意味が何かを知りたい!
という人の為に、さらに個人的な考えをいくつか紹介します。
人生を楽しむため・やりたいことをするため
よくある考えとして、人生を楽しむため・やりたいことをするために生きているんだという人は多いです。
「〇〇をすることが生き甲斐だ」
と、よく聞きますよね。
実際、趣味を楽しむことは人生で何より幸福だと感じますし、趣味だけでなく、子供の成長を見守ることが人生の意義だと考えている人もいるのではないでしょうか。
正直、頭お花畑な考えだと思いますが、人生が楽しいから生きている意味があると考える人は多いですし、そう思えることはある意味幸せです。
それでも人生にイエスと言う
例えば、親からDVを受け毎日が辛いとします。
このとき、親からDVを受けることは人生にとっての障害にしかなりませんが、以下のように考えることが可能です。
× どうして親からDVされるんだろう、生きている意味ってあるのかな?
〇 親からDVされることで、人生が私に何かを学ばせようとしている
それは、ものごとの考えかたを一八〇度転回することです。その転回を遂行してからはもう、「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことはありません。いまではもう、「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです。人生のどのような仕事が私を待っているかと問うだけなのです。
『それでも人生にイエスと言う』より引用
精神科医のV・E・フランクルは『それでも人生にイエスと言う』で上記のように述べています。
私たちは「人生を、生きる意味を問う立場」ではなく、「人生が、私たちに生きることを期待している」のだ。
つまり、人生は与えられたものではなく、課せられた仕事であると考えるのです。
1900年代の壮絶な戦争の中で生きた人の考えであるため、言葉の重みを感じます。
どんな人生であろうとイエスと言おうとするクリティカルな考え方なので、気になる方は『それでも人生にイエスと言う』を読んでみてください。
私たちは所詮世界の一部であり意味なんてない
所詮、私たちは世界の一部であり意味なんてありません。
人類が生まれたこと自体が偶然ですし、今私たちが生きているのも偶然です。
あのカラスはなんで生きているの?
と聞かれたらどうしますか?
私たちも動物の一種であるため、カラスであろうがネズミであろうが、その辺の動物が生きていることと本質的には何も変わらないのです。
元々人生には意味はなく、その中でもなんとか趣味や目的を探すことが良いのではないでしょうか。
まとめ
- 生きる意味を考えてしまうのは他に辛いことがあるから。
- 楽しんでる人は生きる意味を考えない。
- 辛いことを減らせば、生きる意味を考えなくなる。
- 辛いことが簡単になくなれば困ってなんかいない。解決方法は問題による。
- 生きる意味は決まってないので、自分で見つける必要がある。
- 楽しいことを探したり、生きること自体に意味があると考えたりする人もいる。
※あくまでも個人的な考えです。