「月が綺麗ですね」の意味が「愛している」であることを、日本語話者であれば誰でも知っています。
日本語はハイコンテクスト文化と呼ばれる「曖昧な表現をすることで行間を読ませて伝える」言語の代表例であり、言葉の裏を読む必要がある言語です。
世界的な規模で見れば必ずしも行間を読むことがコミュニケーションに必要というわけではありませんが、言葉の裏を読むことは日本の文化であり、日本語を使う上で必須のスキルであると言えるでしょう。
ただ、行間を読むことができない・言葉の裏に隠された意味を察することができない・空気の読めない人もいます。
今回は、日本語を話しているのに行間を読むことのできない人に対する不満を書いていこうと思います。
行間を読めない人は言葉を言葉通りに受け取ってしまう
例えば知らない人に道を尋ねたとき、相手の反応を見ることで、快く答えてくれているのか・迷惑だけど仕方なく答えているのか・土地勘があり詳しいのか・もっと詳細に聞いても大丈夫そうなのかを読み取ることができます。
私たちは言葉だけで全てを表現せず、雰囲気や表情、ちょっとした声のニュアンスで相手の考えを読み取り、お互いに行間を読むことで円滑なコミュニケーションを行っているのです。
しかし、行間が読めない人は言葉を言葉通りに受け取ってしまうため、行間を読める人が行間を読んでもらう前提でコミュニケーションを取ろうとしてもうまくいかず、会話が上手く成立しません。
そして、何度もコミュニケーションが上手くいかないことが起こると、人間関係が劣悪になってしまい、「あの人の気持ちが分からない」となってしまいます。
コミュニケーションがうまく行えない原因は”自覚がないこと”
コミュニケーションがうまく行えない原因は「行間を読みとれていないという自覚がない」ことです。
行間を読み取る能力がないのは持って生まれてきたものや環境が悪かったせいであって本人の責任ではないので、言葉を言葉通りに受け取ってしまう人がいるのは仕方ありません。
特に、ASD・大人の発達障害・アスペルガー等の病気を持っていることは本人の責任でもなんでもありません。
ただ、「自分は行間を読めないという自覚を持つことは誰もができるのではないでしょうか。
どんなに空気が読めない人でも「自分は疎まれている、人から避けられている」と思うことはあるはずです。
行間を読めないことは仕方ないので、せめて「自分は行間が読めない・疎まれている」という自覚を持つべきではないでしょうか。
そのような自覚がないからいつまでたってもコミュニケーションが上手くいかないのです。
なんなら、コミュニケーションが上手くいっていないことにすら気付けないのです。
少し怖いですが、「自分は疎まれている」と自覚する能力がないことも、ASD・大人の発達障害・アスペルガー等の自分ではどうすることもできない特質なのかもしれないですね。それはもう仕方がないです。
大切なのは”自己理解”と”相互理解” ASD・大人の発達障害・アスペルガーを理解しよう
大切なのは自分のことを理解し、相手のことも理解することであると私は考えています。
「自分は人の気持ちが分からない」と自分のことを理解する
「相手は自分と違って行間を読む能力があるから話し方に気を付ける必要がある」と相手のことも理解する
「自分は理解力がある」と自分のことを理解する
「相手は理解力がないから気を付けなくてはいけない」と相手のことも理解する
上記の4つをすべて満たしたとき、初めて円滑なコミュニケーションを取れるようになるのではないでしょうか。
行間を読める人でも読めない人でも、相互理解をしようとしない人は未熟です。
特に、行間を読める人でも、ASD・大人の発達障害・アスペルガー等の本人ではどうしようもない特質を持っている人は一定数いるということを理解できないのはありえません。
お互いに、自分と他人は違う人であることを理解することが、相手の気持ちを理解する第一歩なのではないでしょうか。
お互いに「自分とは違う」ことを理解することで、初めて”人の気持ちが分からない”状態から一歩脱出できるものだと思います。
見て分かれよ!!ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!
まとめ
行間を読むことは日本の文化であり世界全てが同じというわけではありません。
言葉を言葉通りに受け取ることが正しい国もありますし、言葉の裏を読み取ることが正しい国もあります。
しかし、日本語を使うために行間を読むスキルは必要であり、能力的に行間を読めず言葉を言葉通りに受け取ってしまう人が一定数存在します。
自分が疎まれている存在と気付けていない人はヤバいので、ちゃんと自分がヤバいと理解しましょう。
同年代で自分に話しかけてくれる人はどれくらいいますか? それが答えですよ。
人の気持ちや考えが分からないのは当たり前です。自分のことを理解し、相手との違いを知ることで、初めてコミュニケーションが上手くいくものであると私は思います。