『才能の科学』は心構えを知ることのできる最高の一冊

才能の科学
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こんにちは!かいしーです!

かいしー読書部では、私が読んだ本を紹介していきます!

今回紹介するのは『才能の科学』です。

心に染みる一冊でした。

ある程度成功した人、何かしらの特出した能力を持っている人、努力を続けたことのある人は全員同意するような内容だったのではないでしょうか。

これから努力して何か強力な能力が欲しい人は絶対に読むべき一冊です。

可能な限り『才能の科学』の良さを伝えていこうと思います。

『才能の科学』|要約・著者紹介

要約

【世界的ベストセラー『失敗の科学』『多様性の科学』著者の原点! 】
ビジネス・学問・スポーツ・芸術……
「才能がない」と諦める前に。人の能力は後天的に伸ばせる!

オックスフォード大学主席卒業、オリンピックにも2度出場した一流アスリートが数多の科学的研究と考察に基づいて導き出した、人と組織の成長の法則。

・なぜ鈍い反射神経の持ち主が地球最速の選手になれたのか?
・なぜ平凡なレジ係が「人間計算機」との暗算勝負に勝てたのか?
・なぜ能力の高い人だけを採用した大企業は崩壊したのか?

加速習得・目的性訓練・フィードバックループ・成長マインドセット・二重思考・知覚の構造変化……
傑出した成果を出すために「生まれつきの才能」より重要なものとは?

ベストセラ-作家マシュー・サイドの処女作『非才! 』、待望の復刊。

「人の能力は後天的に伸ばすことができる。才能なんて関係ない、すべて努力(と運)なんだ。」という内容。

能力を伸ばすために必要なこと、私たちが「生まれながらの才能だ」と思っているものの多くは才能ではなく努力であることを著者の経験談を踏まえて説明しています。

なんなら、「才能」によってできる・できないが予め決まっているんだという考えのせいで努力ができず能力が伸びないんだ、という主張もしている本ですね。

内容は非常にシンプルで、「努力」が大切なんだ、能力が伸びない原因は努力しようとしないからだ・諦めてしまうからだ・予め才能で決まってるからだ、ということを堂々と主張している感じです。

 

~余談~

〇〇の科学というタイトルを付けることで、「この本の主張していることは科学的であり論理的に正しいんだ」という雰囲気を出し売れ行きを伸ばそうと出版社の方が考えたんですかね?

科学という言葉を使って自分の主張を正しいと思わせようとする手法って溢れてますよね。元のタイトルが違うので著者は関係ないんでしょうけど。

著者紹介

マシュー・サイド
作家、英『タイムズ』紙コラムニスト。オックスフォード大学哲学政治経済学部を首席で卒業。卓球選手として活躍しオリンピックにも2度出場。著書に世界的ベストセラー『失敗の科学』『多様性の科学』他。

イギリスのジャーナリストで卓球の元オリンピック選手。

努力を語る上でこんなにも説得力のある人は中々いないでしょうね。

『才能の科学』を読もうと思ったきっかけ

Amazonで本を探していたらたまたま見つけたので買いました。

内容も短く字も大きいのですぐ読み終わると思います。

あまり期待せず、「ふん、どんなことが書いてあるやら」くらいのノリで読みましたね。

『才能の科学』から学んだこと・感想

才能よりも努力の方が大切

1980年代の一時期、イギリスのシルバーデール通りとその周辺に住んでいた人はイギリスの他の全地域を含めた人よりも多くの傑出した卓球選手を輩出した。著者と著者の兄もその一人であった。

イギリスの一部の地域だけ卓球の才能に関する遺伝子が変異したのだろうか?

その地域だけ卓球が強くなるような地理的な条件が整っていたのだろうか?

・小学校の先生かつ全英トップクラスの卓球コーチ。その地域で様々なスポーツのコーチを行い、スポーツで何かしらの才能を感じた人を地元の卓球クラブにスカウトしていた。
・24時間オープンしている卓球台のある小屋。(卓球台は一台しかなかった。)
・家でも卓球のできる環境。
・負けず嫌いの兄や、切磋琢磨できる熱意のある友人。

このような環境が整ったことで、シルバーデール通りとその周辺地域の人は一時期他の地域の合計よりも多くの傑出した卓球選手をイギリスに輩出したとのこと。

このようなことは他の地域でも例があります。

ロシアのモスクワにある「スパルタク・モスクワ・テニスクラブ」出身の選手は、2005年~2007年において、女子テニス世界ランキングTOP20に入った選手の数がアメリカ全土よりも多く、男子は2006年のデビスカップで優勝したロシアチームの半数を占めたらしい。

「スパルタク・モスクワ・テニスクラブ」にあるテニスコートは一面だけだし、著者の所属していたオメガというクラブにある卓球台も一台しかなかった。

つまり、「とてつもなく努力できる環境」が整っていると才能なんて関係ないくらい能力が物凄く上昇するということです。

努力するために必要なマインドセット

・能力は努力で伸ばすことができる 、才能は関係ない。能力を伸ばす唯一の方法は努力だけだ。

・失敗するのは当たり前 。むしろ、自分のできないことを知るチャンスだ。

・難しいことへ無限にチャレンジした方が練習になるでしょ。チャレンジしないなんて有り得ない。

・苦手なんてものはない、まだ上手くないだけだ。練習すれば絶対にできるようになる。

これは著者の別の著書、『きみはスゴイぜ!』に書いてあったことなのですが、内容は共通しているので良いでしょう。

まず大前提として、練習すればあらゆる技術は向上します。

ピアノを弾いたことない人でも練習すれば上手くなりますし、スポーツが下手な人でも練習すれば上手くなります。

絵が下手な人も3時間くらい練習すれば結構うまくなります。

僕も最近クラリネットを始めたのですが、最初は音すら出ない状態でも3時間くらいで結構吹けるようになりました。(まだ下手ですが。)

何かを上手くなりたければ練習するしかないので、「練習しても上手くいかない理由」なんて考えても無駄というか、そういうこと考えるから上手くならないんだよという感じです。

なぜなら、そもそも練習すればありとあらゆる技術は向上するからです。

 

こんな人間でも一応東京学芸大学を卒業しているわけですから、受験勉強にそこそこ時間を費やしています。

受験勉強している最中、一体何問の問題を間違えたのでしょうか?

問題を間違えるたびに「間違えた😭」と心折れていたら、一生勉強できるようになりません。

最終的に受験合格すればそれでいいので、途中でいくら問題を間違えようと関係ないんですよね。

 

能力を上げるためには練習する。

難しいことにチャレンジする。

失敗は成功の基というより、そもそも練習をすると失敗はして当たり前。

「才能」なんてのはただの後付け結果論。めっちゃ練習して能力を上げたら、他の人から「才能あるね」って言われるから実際に練習してみ? ほとんどの人は何も分かっちゃいない、「才能」じゃなくて「努力」が能力を上げるということを。

才能で語るのは結果論?

できる→才能がある

できない→才能がない

これって結果論じゃないですか?

「できる・できない」という結果を見て、その人に才能があるのか無いのか判断する。まさしく結果論です。

ほとんどの人は遺伝子やDNAをきちんと知ってるわけないので、他の人が「才能」という言葉を使うときは「何も分かってない、結果論を語ってるだけの人」だと思いましょう。

努力できること自体が才能?

「努力で能力は上がる」という主張の最大の敵は「遺伝子的な決定論者」です。

DNAは人によって違う。才能はあるんだ。
努力できるかどうかも「努力遺伝子」により決まっているんだ。
そもそも家庭環境が劣悪で努力以前の問題だったり、病気のせいで努力できない人もいるんだ。

という人々のことですね。

家庭環境が劣悪で努力以前の問題だという人はいるでしょうし、病気のせいで努力できない(集中力が低くなってしまうような病気や障害など)人もいるでしょう。それは仕方ありません。

しかし、このブログを読んでいる人は全員「スマホかPCを使うことのできる環境にある人」ですし、そもそもの割合を考えると大半の人は致命的な病気を持っていない人でしょう。

確かにどうしようもない環境にある人もいますが、これを読む多くの人はどうしようもない環境ではありません。言い訳なんかせずに努力しましょう。

 

DNAは確かに人によって異なります。

しかし、人間の適応力には目を見張るものがあります。確かにDNAは一部異なっていますが、DNAの差よりも努力することによる違いの方が遥かに大きいのです。

実際、私は大学受験で国公立大学に入学していますが、同級生100万人が私と同じくらい勉強していれば私は大学合格できなかったでしょう。

現在、努力の素晴らしい力を知っている人・実践している人はそう多くありません。努力の力を知らない人が多いわけですから、DNAに差があろうと覆すことは可能なのです。

努力遺伝子と双生児法

努力できるかどうかも遺伝で決まるということの根拠は双生児法による研究にあるそうです。

~双生児法~

【前提】

一卵性双生児→遺伝子が100%一致
二卵性双生児→遺伝子が50%一致

能力は「遺伝+環境」で決まる。
双子を別の環境で育てる。

 

【式】
一卵性双生児の能力=遺伝+環境
二卵性双生児の能力=遺伝×0.5+環境

→二卵性双生児は遺伝子が50%しか一致していないので、遺伝による影響は一卵性双生児の半分だと考えられる。

 

【例】
例えば、とある能力を見たとき、(学力、忍耐力、体力など様々)
一卵性双生児のとある能力の一致率70%
二卵性双生児のとある能力の一致率40%
だったとする。(もちろん、可能な限り多くの双子を集めて平均値や中央値を考える。)

遺伝をx、環境をyとすると、

0.7=x+y
0.4=0.5x+y

∴x=0.6 , y=0.1
となる。

→その能力は遺伝の影響が6割、環境の影響が1割である。
→能力は遺伝により決まる!

こういうのを双生児法といいます。

要は、努力できる一卵性双生児の双子は、別々の場所で育っていても、二人とも努力できる割合が高い(二卵性双生児と比べると)。

という話から、「努力は遺伝子で決まる」と言ってるみたいです。

多くのブログ・サイトで「努力できるかどうかは才能である」「現実は残酷である」と言っていますが、「現実は残酷である」方が自分にとって都合が良いというか、受け入れやすいだけなのでは?と思います。

「現実は残酷である」「努力できるかどうかは遺伝子によって決まる」という話は言い訳をするのに丁度いいですからね、自分ができない理由を見つけて大満足といったところでしょうか。

双生児法はあくまでの手法の一つに過ぎません。

世の中を、

・努力できる人
・努力できない人

の2つに分けたとき、努力できる人に”のみ”特有の遺伝子があることを見つけたならば、もしくは、努力できない人に”のみ”特有の遺伝子を見つけたならば、それは努力遺伝子があると言ってもいいでしょう。

努力は遺伝で決める派の人々の主張は「努力できる人には特有の遺伝子がある。」ということです。

その遺伝子が何かぜひ調べてみてほしいですね。成功している人、突出した能力を持っている人、努力できる人しか持っていない遺伝子を特定してほしいものです。

いいですか、努力し続けることで能力は必ず上げることができます。才能のせいだなんて言い訳せずに無限に努力しましょう。

もちろん、努力して能力を上げたいと思うなら、ですが。

才能の科学

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